Beyond the memory

音楽と映画と酒場にまつわる話

思い出のシネマテーク

とあるオフィス街の地下に、

小さな古ぼけた映画館があった。

 

私は、学生時代からこの映画館に通っており、

旧作やリバイバル作品を観ては、

日頃の現実の憂さや悩みから、

逃避できる唯一の場所がこの映画館であった。

 

最初に何を観たかは定かではないが、

いくつもの映画をここで観てきた。

 

街路樹の木々が黄色く色づき始めた10月の始め頃、いつものように仕事を終え、オフィスを出て、地下街に降りる階段の途中の側面に貼られてあるこの映画館のポスターの片隅に、閉館のお知らせが目につき、私は思わず急いでこの映画館の前に来てしまった。

 

いつもその日の上映作品の最後の回は半額になる。

 

私は入場券を売ってる窓口のおばさんに一枚といって、自動ドアではなく、重いガラスの扉の取っ手を引き、もぎりの人にその入場券の半分をちぎってもらうのだ。

 

今日の映画の最後の回はすでに始まっており、私は入口のドアをゆっくりと開け中に入った。薄暗い館内には、2,3人しかいなかったように思われる。

 

上映されていた作品は、

 

カイロの紫のバラ」という、

映画で、舞台は1930年代のニュージャージー州

セシリア(ミア・ファロー)はウェイトレスをして、失業中の夫モンク(ダニー・アイエロ)との生活を支えている。惨めな生活とモンクとの愛のない結婚から逃れるため、セシリアは映画館に通っているのだが、今上映されている「カイロの紫のバラ」という映画に彼女は夢中になっているのだった。

その映画のスクリーンから、

なんと映画の主人公が飛び出てくるという奇想天外なストーリーが、

この映画の見どころだった。

しかし、空想の展開は現実に戻り、

また、セシリアは映画のスクリーンに目を向けているシーンで、

この映画は終わる。

私は、この映画を観たのが3回目だったので、ストーリーも主人公の場面も、新鮮味というか驚きの感動もなかったので、映画の途中から、寝てしまい、いつものように、終了のブザーとともに灯る赤い案内灯が目に入り、掃除のおばさんに肩を叩かれ、映画館の席から立ち上がろうとするのだった。

そして、わたしの夢心地の時間も終わった。

映画館を出て、いつも行く場所があった。

地下街から上がったビルとビルの間を通りぬけ、

ぼんやりとしたあかりが灯るあるバーに向かっていくのだった。

カウンターに席に着き、ウィスキーハイボール一杯たのむ。

店の人との会話はほぼないが、今日観た映画はこんなだったと語る時もある。

私は、ウィスキーハイボールを一口飲み、安堵の一瞬から、息をすぅと吐き。

自分の30年勤めた仕事も、後5日なのだと、考え深げになるのだった。

 

 

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カイロの紫のバラ

 

紅いコーリャン

紅いコーリャン

 

三十数年前、上海から来た留学生と知り合った。 
アルバイト先の工場だった。 
TVの部品をつくる工場で、

先輩だった私が作業の手順を教える事になった。

作業は単純な流れ作業だったが、

いかにもまじめそうで飲み込みが早い彼とは、

片言の中国語と片言の日本語で打ち解けた。

 
映画が趣味ということも共通していたので、

食事や映画にも誘った。

 

その映画がこれである。 

圧倒的なパワー、そして「紅」で打ちのめされた。 

その作中歌われる「バッカス讃歌」=「酒神曲」 

その歌を彼が上映中、その詩を歌った! 

(私はかなり恥ずかしかったが・・・)


さあお前 勇気を持ち 
前に向かって振り向くな 
今日この日から 
赤い刺繍の家建てようか 
赤い刺繍の球まき散らそうか 
球が俺の頭に当たったならば 
一緒に飲もうコーリャン酒 
真赤に燃えるコーリャン酒 
真赤に燃えるコーリャンのその酒を 

母ちゃん進め 西の空 
広い通りに大きな大きな宝船 
母ちゃん進め 西の空 
早い駿馬とたっぷり路銀 
母ちゃん進め 西の空 
極楽行くには金の力で行ってやれ 
母ちゃん進め 西の空 
広い通りに大きな大きな宝船 
母ちゃん進め 西の空 
早い駿馬とたっぷり路銀 
母ちゃん進め 西の空 
極楽行くには金の力で行ってやれ 

(この歌はかなり皮肉とその時代の生活を描いた詩だ。)


その彼(朋友)との友情は今も続く 

今彼は、上海の日系企業で副社長として活躍している。 

 

 

紅いコーリャンとは

 

eiga.com

(あかいこーりゃん、原題:紅高粱)は、1987年制作の中国映画張芸謀チャン・イーモウ)の初監督作品で、主演は鞏俐コン・リー)。2人のコンビはその後も数々の作品を世に送り出すことになる。原作は莫言(モー・イェン)の『赤い高粱』『続 赤い高粱』。

 

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この頃の、

鞏俐コン・リー)は、

美しく力強い。

 

その彼が、上海に帰ることになったが、最後の日に見送りに行けなかった。

実は、私が心臓の病が分かり、行けなかったのだ。

その後、手紙のやり取りは続いてはいた。

文面には、中国では、こんな映画をやっています。

是非、上海に来て下さいと綴られてあった。


なかなか、行く機会がなかった。 


そうして、私が何回か転居し、彼とのやり取りも無くなった。 
おそらく、お互いに消息不明ということになった。 

そして、何年か経ち、思いがけなく留学生のお世話をしてほしいと打診があった。

中国人留学生だった。 
最初は、留学生のアパートで3人ほどのメンバーが酒盛りよろしく、

中国語を教えてもらっていた。 

やがて、市内に国際交流センターというものが出来るので、もっと多くの人に教えてもらいたいとの要望があり、 

中国語講座を開講した。 
多くの人に参加してもらった。 
その矢先、また持病の発作で倒れてた、今度は九死に一生得た。 
入院中、30数年前に知り合った、上海の友人に急に会いたくなった。 
ある人が、ノルウェーで知り合った上海出身の知り合いの中国人がいるから、 
手当たりを聞いてあげるということになった。 
その人は上海の科学者で大分ご高齢であると聞いた。 
まさか、ほんとに探してくれるとは思わなかった。 
退院の日、知り合いの人から急いで連絡があった。 
なんと、旧友が見つかったのである。 
探し当ててくれたのである。 
旧友のお父さんも科学者だったから、その縁かも知れないが、 
変化の激しい上海でほんとによく探して頂いたものだ。 

 

ほんの二十年ぐらい前の話だ。

 

もう、お互い、ええ歳の「おっさん」になっている。

(中国語で何て言うか知らないが。)

大约在二十年前。
Dàyuē zài 20 nián qián.


感謝。多謝。 

 Gǎnxiè. Duōxiè.

 

 

 

 

『落花随燕入 遊糸帯蝶驚』

『落花随燕入 遊糸帯蝶驚』



散り落ちる花びらは燕のあとを追って舞い、空飛ぶ遊糸は蝶に絡まって驚く



『かげろうという言葉は、昔は蜘蛛が空を飛ぶために吐き出した糸が、風に乗ってどこからともなくやって来て、どこへともなく消えていくさまを表現したのだという説があります。
糸遊とも遊糸とも表現されてきまして、
『落花随燕入 遊糸帯蝶驚』
なんて六世紀頃の中国の詩にあります。
散り落ちる花びらは燕のあとを追って舞い、
空飛ぶ遊糸は蝶に絡まって驚く
…直訳するとそういう意味でしょうか?』
(宮本輝 「冬の約束」文中より)


作中に、「冬の約束」のキーワードとなる、

「飛行蜘蛛」のことが出てくる。

「飛行蜘蛛」とは?

https://matome.naver.jp/m/odai/2141712885398899701





蜻蛉日記の、

「かげろう」=「雪迎え」

のことでもあるそうだ。


源氏物語のかげろふの巻でつぶやかれるものも⇒英語でいう、
「gossamer」にあたるらしい。



弥彦では、
雪が降る前触れに、雷が鳴った。
地元の人は、
「そろそろ、かも知れない・・・」
と悲しげに言った。

私は、
雪が見たいと訪れたはずだったが・・・


そう、

 

 「飛行蜘蛛」とは、


「雪迎え」であり、

kotobank.jp

 

 

 

 

私だったかも知れない。

 



「もつれた蜘蛛の糸をほぐせば、案外、負の感情が爆発的な生の感情のほとばしりへとつながる。こじれた人間関係でも同じである。問題は、蜘蛛の糸をほぐせるほどに焦点を当てられるかということなのである。」

 

 

約束の冬〈上〉 (文春文庫)

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約束の冬〈下〉 (文春文庫)

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