Beyond the memory

音楽と映画と酒場にまつわる話

紅いコーリャン

紅いコーリャン

 

三十数年前、上海から来た留学生と知り合った。 
アルバイト先の工場だった。 
TVの部品をつくる工場で、

先輩だった私が作業の手順を教える事になった。

作業は単純な流れ作業だったが、

いかにもまじめそうで飲み込みが早い彼とは、

片言の中国語と片言の日本語で打ち解けた。

 
映画が趣味ということも共通していたので、

食事や映画にも誘った。

 

その映画がこれである。 

圧倒的なパワー、そして「紅」で打ちのめされた。 

その作中歌われる「バッカス讃歌」=「酒神曲」 

その歌を彼が上映中、その詩を歌った! 

(私はかなり恥ずかしかったが・・・)


さあお前 勇気を持ち 
前に向かって振り向くな 
今日この日から 
赤い刺繍の家建てようか 
赤い刺繍の球まき散らそうか 
球が俺の頭に当たったならば 
一緒に飲もうコーリャン酒 
真赤に燃えるコーリャン酒 
真赤に燃えるコーリャンのその酒を 

母ちゃん進め 西の空 
広い通りに大きな大きな宝船 
母ちゃん進め 西の空 
早い駿馬とたっぷり路銀 
母ちゃん進め 西の空 
極楽行くには金の力で行ってやれ 
母ちゃん進め 西の空 
広い通りに大きな大きな宝船 
母ちゃん進め 西の空 
早い駿馬とたっぷり路銀 
母ちゃん進め 西の空 
極楽行くには金の力で行ってやれ 

(この歌はかなり皮肉とその時代の生活を描いた詩だ。)


その彼(朋友)との友情は今も続く 

今彼は、上海の日系企業で副社長として活躍している。 

 

 

紅いコーリャンとは

 

eiga.com

(あかいこーりゃん、原題:紅高粱)は、1987年制作の中国映画張芸謀チャン・イーモウ)の初監督作品で、主演は鞏俐コン・リー)。2人のコンビはその後も数々の作品を世に送り出すことになる。原作は莫言(モー・イェン)の『赤い高粱』『続 赤い高粱』。

 

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この頃の、

鞏俐コン・リー)は、

美しく力強い。

 

その彼が、上海に帰ることになったが、最後の日に見送りに行けなかった。

実は、私が心臓の病が分かり、行けなかったのだ。

その後、手紙のやり取りは続いてはいた。

文面には、中国では、こんな映画をやっています。

是非、上海に来て下さいと綴られてあった。


なかなか、行く機会がなかった。 


そうして、私が何回か転居し、彼とのやり取りも無くなった。 
おそらく、お互いに消息不明ということになった。 

そして、何年か経ち、思いがけなく留学生のお世話をしてほしいと打診があった。

中国人留学生だった。 
最初は、留学生のアパートで3人ほどのメンバーが酒盛りよろしく、

中国語を教えてもらっていた。 

やがて、市内に国際交流センターというものが出来るので、もっと多くの人に教えてもらいたいとの要望があり、 

中国語講座を開講した。 
多くの人に参加してもらった。 
その矢先、また持病の発作で倒れてた、今度は九死に一生得た。 
入院中、30数年前に知り合った、上海の友人に急に会いたくなった。 
ある人が、ノルウェーで知り合った上海出身の知り合いの中国人がいるから、 
手当たりを聞いてあげるということになった。 
その人は上海の科学者で大分ご高齢であると聞いた。 
まさか、ほんとに探してくれるとは思わなかった。 
退院の日、知り合いの人から急いで連絡があった。 
なんと、旧友が見つかったのである。 
探し当ててくれたのである。 
旧友のお父さんも科学者だったから、その縁かも知れないが、 
変化の激しい上海でほんとによく探して頂いたものだ。 

 

ほんの二十年ぐらい前の話だ。

 

もう、お互い、ええ歳の「おっさん」になっている。

(中国語で何て言うか知らないが。)

大约在二十年前。
Dàyuē zài 20 nián qián.


感謝。多謝。 

 Gǎnxiè. Duōxiè.